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02/10

プロジェクトの申請がとおった。

僕自身が関わってるJICAプロジェクトや、身の回りで行われている国連機関のプロジェクトに比べれば予算、規模からいって小さな小さなプロジェクト。

でも、それでもすごい嬉しかった。

申請の為に現場に行ったり、申請書を書いたりと2カ月費やした苦労がむくわれたのも、勿論ある。

でも、具体的に「あの場所にいる困っている人たちの為に、少しだけ役に立つことが出来る手段を手に入れたこと」が一番うれしい。

まずは、この申請の為に関わってくれたラオ人の同僚、サラワン県の隊員のAさん、JICA関係者の方に感謝したい。

一方で気を引き締める。これからが本番だ。せっかくもらった機会をどういかすか。具体的にはどういったことを僕はしなければならないか。考え、行動に移さなければならない。

僕の存在意義

カテゴリ:未分類

01/26

僕がここに来てから常に考えていること、それは「僕の存在意義」だ。僕はここで本当に人の役に立っているのだろうか、いる意味があるのだろうか。

合理的に結論をだしてしまうと。いてもいなくても変わらないと最悪な結論になってしまう。だから、いつも「今は」という言葉を冒頭につけ、何とか将来的に変化することを希望して考えるのを止める。

でも、今日僕がここにいることの存在意義を感じた。

今週は一週間中央省庁から職員が来て県の職員にトレーニングを行っている。それも僕もオブザーバーとして参加している。トレーニングのひとこまに、今各機関が受けていく海外からの援助について、プロジェクト名と内容を紙に書いてみようというのがあった。

各グループが模造紙に書き終え、それを壁に貼って順々に発表していく。そんな中で一つのグループの模造紙に、「○○(僕の名前)、JICA」と書いてあった。当然、中央省庁の職員がつっこむ

「これ、どういうこと?」

それに対して、そのグループの発表者が応える。

「○○は僕たちの能力を上げるためにここに来てくれているんだ。これもプロジェクトのひとつだよ」

40人の参加者が一斉に僕の方を向く。そして、全員で拍手をしてくれた。僕は思わず立ち上がる。そして、みんなに「コープチャイ、コープチャイ(有難う)」と挨拶した。でも、涙でいっぱいになってうまく言えなかった。

僕がここに来た理由を分かってたんだ。そして、それに対しても少しでも感謝してくれるんだ。すごく感動した。少し存在意義を感じた瞬間だった。

01/19

ここに来て半年間続けていることがある。それは、サンサイとは英語で会話をすること。

これには、二つの理由がある。ひとつめは、彼の英語能力をあげること。日々英語で会話をすれば、彼のコミュニケーション能力は確実に上がるはずだ。それは、将来の夢である海外のNGOで働くことに結び付く。二つ目は、周囲の協力隊員を見ていてラオ語の習得には1年近くかそれ以上かかる。2年という短い間。少しでもいい仕事がしたい。それには今コミュニケーション出来る語学、英語を使うしかない。

でも、これには批判も受ける。周囲は明らかに面白くないらしい。ラオ人は英語を話すことを極端に恥ずかしがる。それは性格から来るものと実は大学自体に英語を専攻しているのに話せないコンプレックスの二つから来る。

だから、時々言われる。「英語を話すな。ラオ語をもっと話さなければ上達しないぞ」と。そして、職員の何かは本気で僕が英語しか話さないと思って話しかけてこない人もいる。

だから、何度か辞めようかと思った。確かに、一番一緒にいる彼とラオ語を話して、分からなければ英語を使えばもっとラオ語が上達すると思う。事実最近伸び悩んでいる。

でも、半年間サンサイの英語力は確実に伸びている。来たときはたどたどしかったが今は流暢に話す。僕が使う英語の表現や言い回しもどんどん覚えて会話に使ってくる。最近は僕の方が英語の単語が思い出せず、彼に指摘しされることもしばしばだ。

そういう瞬間がたまらなく嬉しい。だから辞められない。そして、今日辞められなくなるようなことを食事をしながら彼に言われた。

「俺随分英語うまくなったと思わない。これはお前と毎日英語で会話が出来るお陰だよ。ほんと感謝してるよ」

まだまだ、彼とは英語で会話していこうと思った。

貧困とは?

カテゴリ:未分類

01/05

正直に言ってサラワンに来て5ヶ月、僕はこの国は貧しいなと感じたことがない。

日々の生活、仕事で感受性が薄れているのだろうか、ぼろぼろの服を着た裸足の子供たち、嵐が来たら全て無くなりそうな高床式の家、でこぼこの土の道路、いろんなものを見ても貧困を感じない。

ラオス人にこれらひとつひとつを見せられて「どうだラオスって貧しいだろう?」と聞かれてもいまいちピンと来なかった。

こう感じることへの明確な答えは今はない。ただ、一つだけ言えるのならばそれでも人々が楽しそう、幸せそうに生きてると感じるからだと思う。

日本に行ったことがあるラオ人が行った。「日本に行って驚いた。凄い発展してることはしてた。でも、電車に乗ってる人はみんな疲れていて幸せそうじゃない。ラオスは貧しい。でも皆幸福に生きている」。

でも、今日初めて貧困を感じた。

僕の職場に妊婦さんがいた。僕が来て以来どんどん膨らむお腹を見ていて、いつ生まれるのかと楽しみにしていた。僕の年がら最近は友人の子供が生まれることが多い。その子たちをいつも実際や写真で見るのがいつもとても楽しみだ。

そして、その妊婦さんの子供も見るのもとても楽しみだった。

でも、今朝同僚に帰るときに言われた。「Aが流産した。今からお見舞いに行くぞ」

凄く悲しかった。何でか同僚に聞いたけど、ただでさえ分からないラオ語でさらに流産の理由を説明されてもさっぱり分からなかった。でも、とにかくもう生まれないこと、流産したことは分かった。

葬式の時と同じように、皆でその人の家に行ってビールを飲んで食事をする。Aさんは思ったよりも元気そうなのが良かった。「○○(僕の名前)、来てくれて有難うね」笑顔で言ってくれる。

この国では5歳までに1000人あたり107人の子供が死亡する、日本では1000人あたり4人、世界平均は72人だ。

また、2002年の統計だと、人口の56%の人々が何らか健康を害していて仕事に影響を及ぼしていると答えている。

実際に先進国並みの病院はなく重病になった場合は僕たちタイに行く。

その夜、みんなで飲み食いをしてた時に「この国は貧しいんだな」と初めて思った。ひとつの生命が簡単に消えていく。医療が未整備の為に。

Aさんは気丈に振舞ってるものの、どこか悲しそうだ。

人々から幸福を奪うこと、あるいは幸福を奪う可能性を増大させること、これを貧困というのではないかと思った。

12/28

タオエ地域から帰るときもうひとつ考えていることがあった。

それは、ここが「現場」なんだなということだ。

ラオスに来る前に、ある人に「将来開発援助の世界で働くとき本当の現場を知ってる人とそうでない人は仕事の質が全く違ってくる」

その時はこの言葉を何となく聞いていた。でも、今少し「現場」というものを感じれたのではないかと思った。

サラワン群からタオエ郡までの間の5時間、これは僕が今まで体験したどんな道よりも厳しかった。

日本なら登山道となっていそうな坂道を車で登りそして下りの連続と川の中も車は進んでいく。植民地時代にフランス人がラオス人に作らせたと言われる石で敷き詰められた道は、現在では崩壊しただの石の塊が道路にあるだけで、車は凄くゆれる。それを5時間揺られ続けられる、

その道を行商のベトナム人がバイクで移動しているのを目撃する。この道をバイクで大変な思いをして、物を運び売る必要があるのかと思ってしまうのは僕が外部の人間だからなのだろうか。

きっと彼らにとってはそれが日常的な出来事なのだろう。彼らにとってこの道はただの町と町をつなげる道路なのかもしれない。険しいかどうかは彼らにとって関係ないのかもしれない。彼らの本音を聞いてみたい。

地図上では200kmの道のり。たかが200km、されど200km。

いろいろな専門家がラオスの発展の鍵は道路だと書いている。でも、それを書いたどれだけ多くの人がこういった道を体験したことがあるのだろうか。文章を書くときにその道の険しさを想像して書いているのだろうか。

現場を知る、それが自分の仕事への思い入れを強くする。来る前に言われた言葉の意味が少しは実感できたと思う。

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