2009年12月の記事一覧

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12/28

タオエ地域から帰るときもうひとつ考えていることがあった。

それは、ここが「現場」なんだなということだ。

ラオスに来る前に、ある人に「将来開発援助の世界で働くとき本当の現場を知ってる人とそうでない人は仕事の質が全く違ってくる」

その時はこの言葉を何となく聞いていた。でも、今少し「現場」というものを感じれたのではないかと思った。

サラワン群からタオエ郡までの間の5時間、これは僕が今まで体験したどんな道よりも厳しかった。

日本なら登山道となっていそうな坂道を車で登りそして下りの連続と川の中も車は進んでいく。植民地時代にフランス人がラオス人に作らせたと言われる石で敷き詰められた道は、現在では崩壊しただの石の塊が道路にあるだけで、車は凄くゆれる。それを5時間揺られ続けられる、

その道を行商のベトナム人がバイクで移動しているのを目撃する。この道をバイクで大変な思いをして、物を運び売る必要があるのかと思ってしまうのは僕が外部の人間だからなのだろうか。

きっと彼らにとってはそれが日常的な出来事なのだろう。彼らにとってこの道はただの町と町をつなげる道路なのかもしれない。険しいかどうかは彼らにとって関係ないのかもしれない。彼らの本音を聞いてみたい。

地図上では200kmの道のり。たかが200km、されど200km。

いろいろな専門家がラオスの発展の鍵は道路だと書いている。でも、それを書いたどれだけ多くの人がこういった道を体験したことがあるのだろうか。文章を書くときにその道の険しさを想像して書いているのだろうか。

現場を知る、それが自分の仕事への思い入れを強くする。来る前に言われた言葉の意味が少しは実感できたと思う。
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12/22

クリスマスの数日前(クリスマスの雰囲気は全くなし)、タオエ地方にプロジェクトの候補地を観に行った。

行く前にNGOや日本人の教育の専門家に話を聞きに行き、自分が注意すべき点、何をすべきか点を聞いた。

要約すると、「村人の人の話を良く聞き、そこに本当に援助が必要か確認すること。不必要な援助は援助依存を生み、自立を妨げること」だ。

これを肝に銘じていった。事前に村人に何を聞きたいのか質問票も用意して行った。

でも、結果的にはほとんどうまくいかなかった。

1つめは現地で情報が錯綜していたこと。現地の教育局、計画投資局に話を聞きに行ったところ、片方がAという学校が援助を必要としていると言い、片方はAは既に修復されているという。

国連機関が発表した損害のレポートとも整合性が取れてない。。。

2つめはひとつめの理由をふまえ、2つの局が指摘している中で重複する小学校に見学に行った。でも、そこも既に村人の手によって修復されている。

また、べつの学校に行こうとするとそこは雨季の為現在アクセスできないと言われる。

結果として選択肢はすごく狭められ、訪れたことのない小学校をプロジェクトの候補地として選ぶことになった。

時間とお金があればまたここに来て改めて候補地を探すことが出来るかもしれない。でも、プロジェクトは3月までに終わらせなければならない。それを考えるとここで決めてしまわなければならない。

途上国であるし、その中でも最貧困の一つの地域だ。ある程度計画がうまくいかないことは分かっていた。ある程度柔軟に対処できる能力も少しはもってるつもりだった。

でも、候補地を訪問することなしに候補地を決めなくてはいけなくなるとは思わなかった。

何で行くことが出来なかったのかの反省も含め、「自分がしていることは正しいのだろうか」、帰りの車の中で自分自身に問い続けていた。

12/14

サラワン県に赴任して5ヶ月目、初めてラオス人と喧嘩した。

喧嘩の内容は「日当」を出すか出さないか。

来週、災害の被災地であるタオエ郡、サムアイ郡に行くことになった。そのことについて打合せ中、ラオス人に「で、日当は幾らくれるの?」と言われた。

最初僕は戸惑って、「日当ってあの日当のこと?でも今回はボランティアのプロジェクトだし、支援上限額も決まってるし、出せないよ」と答えた。

そこから議論が白熱した。

ラオス人側の言い分は「ボランティアだろうとそうでなかろうと視察に行くんだから日当が出ないのはおかしい。」

僕の言い分は「限られた支援金額で行うんだから少しでも被災地の為にお金を使いたい。だから食費代は俺が出すからそれ以外は出せない。」

出張に行く際に「日当」が発生するのはラオスも日本も同じだ。

出張に行くと普段は家で食事をしている人が外で食事をしなければならなくなったり、上司や家族に連絡を取らなければいけなくなったりと普段事務所では起らない経費が発生する。それを補填するのが日当であると社会人の経験から理解していた。

聞くとそれはラオス人でも同じだそうだ。ただ、ラオス人は日当が収入の一部となっている。だから、今回食費を僕が出すということで妥協してもらいたかったけど彼らにしれてれば少しばかりの「お小遣い」が欲しいらしい。

議論の中で一番僕を怒らせたのは、僕が「日当なんて経費の項目で申請しても日本の団体は認めないかもよ」と言ったときに、ラオス人が「日本の団体は現地の様子まで分からないよ。別の経費に上乗せして領収書を書きかえればいいじゃん」と言われた時だ。

さすがに頭にきて、「今回の支援事業は寄付で成り立っているんだぞ。好意でなりたっている基金に対して、虚偽の申請をして相手を裏切るのかよ」と伝えた。

そういった議論が続き結果的には日当については僕の自腹で賄うことにした。金額にして4日間で4,000円被る。

これについては賛否両論あると思う。必要以上にお金を現地人に払うことは現地人が癖になり今後も要求され続けていくという意見があるだろう。

でも僕が考えたのは「被災地の為に最大限出来ること」だ。現時点で困っている人がいる。その為に何が出来るのか。それを考えた時に一番僕にとって合理的な答えが「僕がお金を出す」ということだった。

結果的には相手に譲歩してしまったけど。こういった議論が大事だと思う。彼らが持ってる価値観に対して僕の価値観をぶつけ、それを擦り合わせていく。それによって僕も彼らも少し視野が広がっていく。今後ももっともっと喧嘩していけたらなと思った。

12/07

国際協力課課長に台風被害について日本に基金がありそれに一緒に申請しようと話をしにいった。

課長の第一声「30万円?300万円の間違いだろ?俺らはあと約10億円足りないんだぞ」。

僕の返事「バカやろー、日本人の寄付で成り立ってる基金だぞ。日本人にだって30万円ていうのは決して安い金額じゃないんだぞ。それを無料でもらえるのに、援助慣れしすぎだろ」

とは言わなかった。何故ならこの答えは予期していたからだ。代わりに

「確かに少ない金額かもしれない。でも日本人にラオスのサラワン県で台風で被災している人がいることを知ってもらえれば何らかの波及効果があるかもしれないよ。それに、少しでも現地の人の役に立つことは大事でしょ」

と、答えた。納得したようなしてないような表情だったけどとりあえず一緒に申請することに納得してもらえる。

次に、「じゃあ、どの分野に援助することにする。教育、医療、インフラ、農業?」と聞く。

そうすると、横から最近まで中国で2週間開発援助の勉強をしてきた(勿論中国側の全額負担)女性の副課長が急に割り込んで来て、

「パソコンが壊れたから、パソコン買って」とのこと。

「俺、今課長と話してるんだけど。横からしゃしゃり出て。しかも何でパソコン買うんだよ」

とは言わず、これも渋々我慢して、

「一番困っているのは村人でしょ。村人の為の事業にしない?」との返事。

課長は「うーん、これが被災の地域と分野の被害額だから、これを見て○○(僕)の方で決めて」とのこと。

「俺より全然被害の状況について詳しいだろ。日々これについて考えるのが仕事だろ。プライド持って自分たちで決めろよ。最悪意見ぐらいだせよ」

とは言わず、

「そーだな。俺は現地のことは良くわからないから。何か意見を出してくれると助かるな」と僕の返事。

と、こんな議論が続き結論は教育分野(学校の修復)をすることに決まった。具体的な支援地、支援校は現地に視察に行って決めることにした。

それにしても、これら一連の会話で僕の所属する計画投資局、あるいは開発援助全体の問題が見え隠れした気がする。?援助慣れ(援助されることが当り前になっている)、?現地ニーズに則してない援助(自分が欲しいもの(パソコン)を申請しようとする)、?人材不足(ドナー側の援助により開発援助を研修したてきた人間の拙い意見)、?オーナーシップの不足(自分で考えるのではなくドナー側の意見を頼りにする)。

正直、話に行く前にいろいろ下調べをして、学校修復がニーズも高そうだし、金額的にも妥当であるし、他の医療、農業等はいろんな援助が既に入っていることから妥当であると考えていて、落とし所にしようと思っていた。

だから、良かったには良かったけど、でも、国際協力課の部屋をでた後、何だか疲れてすごく脱力感に苛まれた。

12/05

某団体が行っている自然災害復興支援の事業に、9月に起った台風被害について申請することに決めた。

僕の所属する計画投資局は台風被害の支援の現地窓口でもある。先日の会議で改めて、復興が進んでいないこと、それの主な理由は支援金がなかなか集まってないことが報告された。

被害総額は約13億円。現在集まっている金額は約3億円。約10億円足りてない。

一方、僕の申請する事業は上限30万円。余りにも少額なのは分かっている。でも事業に申請することで日本にいる人々が災害についてラオスについて知ってもらえば何らかの波及効果があるかもしれない。

また、これを決めた一番の理由はもちろん災害復興の一助となることだ。でももう一つ理由がある。それは「日本人(僕)の仕事の方法をラオス人に体感してもらうこと」だ。

この事業の申請の為には、国際協力課の協力が必要となる。そこの主な仕事は海外のODA(政府開発援助)の受け入れ窓口だ。つまり、事業の申請をして援助を引っ張ってくる。そして、この課の主要課題は事業の申請の質の向上だ。

勿論、僕はODAや開発に関しての事業の申請をしたことはない。でも、前々職でも企画書は何度も何度も書いてきた。それとプロセスは同じだと思う。?情報を集める(資料を読む、人に会う、現地に行く)、?申請書を書く(内容、予算を考える)、?事業を実行する(各責任部署との調整、事後評価をする)。

これらをラオス人と一緒に行うことで、少しでも日本人(僕)の仕事の方法を知ってもらって自分たちの仕事に活かしてもらえたらと思った。
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