2009年07月の記事一覧

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07/31

新しく来た日本人に会いたいということで、他の隊員の職場の若い子達に食事に招待された。「スポーツはするの?」と聞かれ、サッカーと答えると、皆好きらしくいろんなヨーロッパの選手の話をして盛り上がる。驚いたのはその情報量。僕より全然知っている。

確かに、ここではタイのTVが見られる(ラオスのTV局は2局ぐらいしかない)。そこでは一日中スポーツをやっている番組がある。

あとは、日本と同じように人の噂や、恋愛の話。どこの国でも変わらないなーと思った。

その後は、カラオケに行った。カラオケといっても薄暗い広い部屋にテーブルとイスがあり、正面にモニターがあり、側にあるパソコンをいじると、画面が現れてそれをみて歌う。聞いてみるとタイの曲がほとんどでラオスの歌があり、英語の歌もある。

しばらくして、一人の女の子が入ってきた。一人の男の子が彼女だよと恥ずかしそうに紹介してくれた。二人の話している姿がとても幸せそうでとてもほほえましかった。

田舎に住んでたことはないけど日本の田舎もこんなんだろうなあと思う。町で数少ない居酒屋に行って、数件しかない小汚いカラオケに行って、そんな中で誰かと誰かが恋をしている。

ここが県庁所在地で僕が今いる遊んでいる人がたまたま金持ちなだけなんだろうか。もし、これがサラワンの人にとって日常だったら僕はここで何をすべきなのだろうか。何を「開発」すべきなのだろうか。

生活上の不便はあっても顕著に困っている姿はない。それともそれを見せないだけなのだろうか。ここで、僕は何が出来るのだろうか。永遠に歌われ続けるタイとラオス語の歌を聴きながらそんなことを思った。
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一村一品

カテゴリ:未分類

07/28

一村一品の活動をしている開発コンサルタントと協力隊員と食事をした。

僕の理解では一村一品とは日本が発祥で各村にもともとあった食物、手工芸品等を特産物として村以外の場所(市場、土産物屋等)で販売し村民の収入向上を促すというものだった。

しかし、開発コンサルタントの話では究極の目標は「村独自の特産物を作ることで彼らの伝統や習慣を再考してもらい、それに誇りを持ってもらうということ」だそうだ。

ラオスは隣の大国タイ、ベトナムに挟まれており圧倒的に物質・文化が流入してきている。それに対してこの一村一品の理念は素晴らしいなと思った。

「しかしですね」と隊員が言った。現実的には一村一品活動をしようにも村人はほぼ農業に従事している。特にこの雨期の時期は忙しく、村にはほとんど人がいない。そんな中でこの活動は難しいと言った。

ラオスは80%の労働者が農業に従事しており、GDPの約50%は農業より生み出されている国だ。

隊員はさらに付け加えた。「村人は利便性を求める」。彼女は村特有の織物を特産物としたいのだが、最近では天然繊維から化学繊維へと移行してきているのだという。しかし、特産物として販売するのには天然繊維の方がうけがいい。

今までの話をまとめると一村一品とは農業から商業への移行、現存の方法から外部の人間が好む方法への移行を求める。しかし、これは結果的には相手の伝統文化・習慣を破壊し、究極の目標は達成されないのではないかと思う。

この矛盾は解決されるのだろうか。これからも活動を見守っていきたいなと思う。

サラワンの空

カテゴリ:未分類

07/24

仕事場のあるサラワン県に赴任した。僕はサラワン県は首都より700km。飛行機より、サラワン県の南にあるチャンサパック県にあるパクセー空港まで行き、そこからバスで3時間だ。しかし、現在はパクセー空港は拡張工事の為、閉鎖しており、北にあるサバンナケット県の空港より南下する。

空港にはカウンターパートを含め3人の配属先の人間が迎えに聞いてくれていた。聞けば道路が雨が降りとおれなくなるのを防ぐため前泊していたらしい。

確か、昨日の専門家との話では地方の役所は財政難で紙を買うお金がないから申請書類が遅れてしまうなどと言われることがあるという。しかし、現実は僕を迎えに来るために、たった3時間で着くのに朝11時着の飛行機のために前泊。。。嬉しい半分複雑な気がした。

昼食を食べてサバンナケットを出発した車は途中、サラワン県の一つの群に停まった。「少し休憩しよう」と言われ、2つ3つある知り合いらしいレストラン?に入った。しかしそこからが「始まり?」だった。ビールを飲んでも飲んでも出てくる。気づくと6缶くらいひとりで空けてた。

トイレ(ただの原っぱ)に立っときふと空を見上げた。驚いた。空がとてつもなく青くきれいだ。あたりまえだけど何も高層ビルがないせいか空がとても広くみえる。感動して涙が出た。そして、ここに2年間暮らせることにすごく幸せを覚えた。

しかし、今日はそれだけでは終わらなかった。ようやく車は5時くらいに発車したが2時間くらい走りまたレストランで停車し飲み会が始まった。いろんな人が入れ替わり立ち替わり挨拶してくるのだがあまりにも多くて名前を覚えきれない。

ようやく出発したころにはあたりは真っ黒。勿論街灯などないのででこぼこの道を車のライトを頼りに進む。そして案の定パンク。。。やれやれと思って特に手伝うことも出来ないから外に出て休んでいて、ふと空を見上げた。

驚いた。満点をはるかに追い越した星の数だ。「すごい!」と何度もつぶやきながらいつまでも空を見上げていた。

結局ついたのは夜の10時。事前の計画では今日県庁に3時から表敬訪問のはずだったんだけど。。。でも、昼と夜のサラワンの空をみることができたのでこれはこれで幸運だったなと疲労感と酔いを感じながら思った。

07/11

昨日からラオス人の家にホームステイさせてもらっている。その家族に滝に遊びに連れいってもらった。日本には中々ないだろうでこぼこの道をとおり、いちど頭が車に天井に着くのではないかと思うくらい車に揺られ着いたところは滝とは名ばかりの川の流れが穏やかな場所だった。

でも、休日ということもあってたくさんのラオス人がいた。子供達は泳いだり、水をかけあったりして遊ぶ中、大人は川に座りながらビールを飲む。みんな楽しそうだ。昨夜はかなり暑かった。ここまでクーラーのある部屋で快適だったが昨日は扇風機のみ。寝苦しい夜だった。

だから、この川の水は適度に冷たく気持ちがいい。そういえば川遊びはもう10年以上もやってない気がする。川に座って、ビールを飲んで果物とコオロギを食べた。ビール以外はすべて自然そのものだ。日本にいたならプールに行ってアイスを食べたりしたりするんだろう。でも、それは人工的だ。こうやって「自然と遊ぶこと」はなんて気持ちがいいんだろうと思った。

水遊び

水遊び2



07/01

現地のラオス語語学学校に通って3日目。シェンクワン県出身の先生が休み時間に自分の幼少時代への話をしてくれた。シェンクワン県はベトナム戦争の激戦地として知られている。

僕がラオスに行くことが決まりラオスのことについて調べ始めた時、最も驚いたことはラオスが「ベトナム戦争」の戦場であったことだ。しかも激戦地だった。米軍によって投下された爆弾の3割である800から900万個が不発弾として残り、現在まででそれへの誤った接触より6000人が亡くなっているという。現在、アメリカの援助でUXO LAO(Unexploded Ordance Lao)という機関が不発弾の処理に当たっているが全ての除去まで1世紀かかるといわれている。

話をもどして、先生には母親は18歳の時に亡くなったということだ。それは畑仕事をしていて不発弾に触り亡くなったそうだ。また、先生自身7歳の時に、一ヶ月かけてラオスからベトナムへ徒歩で避難したそうだ。ラオスで聞く初めての戦争の話だった。

だがほっとしたことが一つある。生徒の中で一人の子が「アメリカ人が嫌い?」の質問に、「今はまったく恨んでない」とのことだ。自分だったらどうだろう、大国同士の争いに巻き込まれ、一ヶ月も歩いて隣国に逃れ、戦争後も不発弾のおかげで自分の親が命をおとす。アメリカ人を恨まないだろうか?

でも、一方で平和はこうやって一歩一歩作られていくのではないだろうか。イスラエルとパレスチナ、シーア派とスンニ派、クルド人とイラク、怨恨の連鎖による争いは今でも続く。でも、ラオス語の先生のように過去の歴史について「許す」ことが出来るなら。

僕の周りの中国人や韓国人は少なくとも僕のことを好きでいてくれる。そうやって一個人が過去の歴史を許し、友人としてかつての敵国と付き合うことが出来れば。そうやって地道に平和は作られていくのではないかと思った。
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