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04/20
僕の職場ではもうひとり熱い男がいる。
彼とは課が違うため、サラワンに来て半年間くらい軽い挨拶ぐらいしかすることはなかった。
今日は職場で仕事が終わった後若手を中心にバレーボールをした。終了後みんなでカラオケに行った。
ラオスのカラオケは当然だけど日本の局もないし、英語の局もないので今日もただビールを飲みながら聞いていた。だいぶ酔いがまわったころ、彼が僕の隣に来て座り彼の身の上話を始めた。
彼はタオエ地域というラオスで最貧困地域で教師をしていたという。でも、生徒たちとその家庭の余りの貧しさに、何とかしたいと思い教師を辞め、僕たちの勤務先である計画投資局に転職してきたのだと言う。彼が僕に言った。
「○○(僕の名前)、俺にもっといろんなことを教えてくれよ。俺はこの国を真剣に変えていきたいんだよ」
凄い感動した。ラオスに来て初めて聞いた。「この国を変えたい」と思ってることを口に出す奴、そんな大志を抱いている奴に初めて会った。
そして、それへの一つの解決策として僕が入っていることに。僕が彼にしてあげられることは何だろう。正直今具体的にはない。でも、それを考える続けていくべきだと思ったし、モチベーションが高まってくるのを感じた。
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04/10
この国に来て最も驚いたことのひとつは「情報量の少なさ」だ。この国には(当り前だけど)紀伊国屋もジュンク堂もアマゾンもない。
サラワンだけで言うと図書館も教員養成学校に小規模なものがあるが本はほとんどない。何より、ラオ語書籍がほとんどない。
何か情報を得たい時に本や雑誌を読むことがほとんど習慣的になっている僕を含め日本人にとってこれには凄く驚くだろう。
ラオスが人口約570万人の小国だからなのか。それとも本を読む習慣がないのか。いろんな要因があると思う。でも、はっきりしているのは「情報量が圧倒的に少ない」ことだ。
そうした状況で「インターネット」の出現というのは情報を得るための強力な手段となり得るだろう。個人的にはネットの出現は先進国より途上国に強大なインパクトをもたらすと思っている。トーマス・フリードマンも「フラット化する世界」の中でそんなことを書いている。
でも、それは少し違うということを職場に「インターネット」が来た時に思った。国連機関のプロジェクトの一環で情報量を増やすため、僕の勤務先にもネットが利用されることになった。
僕が見る限り彼らが仕事に役立つような調べ物をしている気配はない。Facebook、ネットのTV、占い(ラオ人は占い好き)等々ただの遊びに使われている。
国連機関もこのプロジェクトを推奨する前に、制限を設けて欲しいと思う。そして、あるのかないのか分からないがネットの有効性を啓蒙するようなワークショップや書面で渡すべきだ。このままだと、ただ彼らの暇つぶしが増えただけだ。
情報が世界のどこにいても均一に得ることが出来る。それは、途上国と先進国の差を埋めることに寄与できる。たしか、「フラット化する世界」ではそんなことが書いてあったと思う。
でも、それは情報を自分や国の発展の為に用いようとする人々だけに限られるのではないかと思う。そして、少なくともここには稀有だ。
理論と実践は違うんだなと改めて感じた。
03/30
「机、椅子等の作成が終わり、学校に運ぶ準備が出来た」との現地からの報告を受け、2回目の現地訪問。
到着すると、新しい机、椅子は既に学校の前に届いていた。それを皆で教室に運ぶ。そして、流された学校機材の一つ、小黒板を子供たち一人一人に渡した(ラオスではノートを購入する余裕が無いため、計算、文字の練習はチョークを使って小さな黒板で練習する)。
一人一人に「大切に使ってね」と言いながら渡す。田舎の学校、外人はみんなこわいらしくもらってもきょとんとしている。机、椅子が来ても自分たちの状況がわからないらしくこれまたきょとんとしている。
ラオス人の気質を考えてある程度想像していたけど、感謝の表情や言葉がないとすこしがっかりする。
でも、自分のやってることは正しいと信じたい。何故なら教育の機会を提供したからだ。そう信じたい。援助とは結局このような自己満足なのだろうか。飛躍した考えが頭によぎった。
でも、とにかく無事終了して良かった。学校に机、椅子を置くことが出来て良かった。仕事を進める中で、日本では絶対起こり得ないことも起こった。例えば、2回の現地訪問とも現地までいく運転手がドタキャンされたりして、2回とも前日に決まった。
でも、ひとつひとつ解決できた。周囲の協力あってだと思う。このプロジェクトに関わってくれた全ての人々に感謝したい。そして、ピコー村小学校の子供たちが元気に勉強しこの国の発展に寄与する人材になることを願いたい。
03/06
基本的に日々ラオ人と接しているとモチベーションが下がることが多い。何か提案をしても、「お金がない」、「難しそう」等々変化を嫌う。
それに対して、僕のモチベーションも下がる。みんなにモチベーションがあればとうの昔にこの国は途上国ではないという飛躍した意見を少し考えてみてもだ。
でも、時々凄くモチベーションが高いラオ人に会う。そんな時僕のモチベーションも上がり、幸せな気分になる。
一番初めにそういう人に会ったのは今でもここサラワン県で一番の友達サンサイ君だ。彼は僕が赴任して初めの時全然ラオ語が理解できなかったときに、唯一勤務先で英語が出来て、何かと面倒を見てくれた(今も見てくれている)。
彼にはいろいろな夢がある。大学に行くこと(彼は3年生の教員養成校出身でラオスでは学士と認められていない)、正職員になること(彼は現在契約職員だ)、海外のNGOで働くこと(英語を使った仕事がしたいらしい。また、ラオスでは海外のNGOで働くことは高収入を意味する)、日本人の女性と結婚することだ(日本人女性はラオスで人気が高い)。
これらの夢を一緒に飲みに行くと語ってくれる。そして、僕がそれに対してアドバイスをする。この時間がとても好きだ。
一人一人のラオ人が夢を持つこと。それを達成に向けて努力すること。それは優秀なラオ人が生まれることを意味し、必ずやこの国の発展に貢献することを僕は信じる。
そして、そういう人たちと接して、では僕に今何が彼らに出来るか考える。それは僕のモチベーションを上げさせる。
02/25
サラワン県タオエ郡ピコー村ピコー村小学校。
これが今回僕が支援するプロジェクトの学校だ。11月の台風で机、椅子等学校機材が全て川の氾濫により流され、村民の家屋の半分も流された。幸いだったのはみんな高台に逃げれたため、死者はいない。
今日はこの小学校へ訪問した。具体的な機材の購入の契約等の細々とした仕事もある一方、村民とワークショップを行うことが目的だ。
ワークショップの目的は、「今後また大きな台風、洪水が来た時に学校機材をどう村民たちで守るか」というものだ。
村民に伝えたいのは「今回日本の援助で流された学校機材は日本の援助により復元される。でもこれは恒久ではない。今後災害が起こった場合、自分たちの学校は自分たちで守ってほしい」。
村民と、あるいは途上国の人々との初めてのワークショップ。良かった点は村民同士具体的な災害時の行動を決めれたこと。災害時には、学校機材をロープで結ぶ、重要書類は棚の中にしまうなどだ。
一方で手ごたえがないことも確かだった。どこまで彼らがこれを実行してくれるのか未知数だ。約束事は法律でも何でもない。自発的な行動に依存する。それを彼らがどこまでしてくれるか。
でも、純粋に現場に来たことは良かった。目の前の多数の子供たちをみて、この子たちに教育の機会を提供できたんだと思った。それは単純に嬉しいことだし、今までの苦労を忘れさせてくれた。